三井住友フィナンシャルグループでグループCDIO(最高デジタル・イノベーション・オフィサー)を務める磯和 啓雄氏は、メガバンクという巨大組織の中枢で、前例のない挑戦を次々と形にしてきた。例えば送金や支払いの当たり前を塗り替えた「ことら」や「Bank Pay」。個人向け総合金融サービス「Olive」の前身となる「SMBC ダイレクト」。
普通であれば一度でも腰が引けそうな場面をいくつも越え、しかも自ら望んで挑みにいってきた。なぜ、これほどの挑戦を実現し続けられるのか。話を聞いていくと、その答えは華々しい実績の裏ではなく、より深いところ——彼の世界の捉え方と、根底にある価値観にあった。
「最初は、かなり後ろ向きだった」バブル崩壊から始まったキャリア
—— 数々の改革を手がけてこられた磯和さんですが、キャリアの出発点はどんな日々だったのでしょうか。
磯和:それがね、入った瞬間にバブルが崩壊して、不良債権の山。そこから15年、総務部で危機管理と株主総会と不良債権処理。住友銀行だけでは立ち行かなくなって、2001年には三井系のさくら銀行と合併し、三井住友銀行になりました。でも、合併しても楽にならず、やってもやっても不良債権の処理です。2003年には、日本の銀行で初めて減資をしました。100年以上ため込んできた資本を取り崩す。その年は、減資をして、規模の小さな子会社を存続会社として本体を吸収する「逆さ合併」もして、定時総会まで、1年で株主総会を3回やった。死ぬかと思いましたよ。
——いきなり前例のない大仕事ですね。そこからようやく前に進む仕事に移れたのは、いつ頃だったのですか。
磯和:ようやく営業に出たのは2008年です。手を挙げて、丸ノ内の法人営業部に出してもらった。そうしたら、行った年にリーマンショックですよ。
—— よりによって、という巡り合わせですね。
磯和:本当に(笑)。その後は人事部に異動しましたが、現場を知ったぶん、合併後初めての営業体制の大改革を自分から提案して実行しました。目黒の法人営業部長を1年務めて、そこからは12年、デジタルです。少し営業が挟まって、いまのデジタル12年。割と分かりやすいキャリアでしょう。

自らコードを書いて学んだ、メガバンク最下位からのデジタル改革
—— デジタル部門を任されたときはどんな状態だったのですか。
磯和:3メガのなかで、遅れを取ってましたよ。最初はリテール(三井住友銀行の個人顧客向けアプリ)です。スマホのアプリを開けたら、ブラウザが立ち上がる。アプリなのに、中身はただのブラウザ表示なんです。これはもう何でもいいからアプリ化しよう、と。(アプリの)画面を2000枚作れと言いました。ただ、その時はデジタルをやる人なんて、誰もいなかったんです。コードを書ける人すらいない。コードが書けなければ、アプリなんてできないでしょう。だから、アプリ改善の指示を具体的に出せるように自分もコードを勉強しました。
——ただそれでも他の人材は足りていないですよね。
磯和:足りない。アプリをやっているIT戦略室は、7人しかいなかった。それでどうやってアプリを作るんだ、と思いますよね。だから7人を、1年で70人にしました。63人は全員、外から来てもらったんです。採用していたら間に合わないから、業務委託で来てもらったり、他社から出向してもらったり。
—— 銀行のフロアに、外部の人を集めたんですね。
磯和:そう。来てくれる人たちは、普段ジーパンで働いているような人たちですよ。彼らは「銀行だからネクタイが要りますよね」と言いましたけど、「いいよそのままで」と。頭取に「私の部だけ私服を許してください」と交渉しに行きました。役員のいるフロアでジーパンの連中が働き出して、周りからは何をやっているんだと言われたけど、関係ない。来てもらって作業するには、そうするしかないんですから。
—— その改革は、数字に表れましたか。
磯和:10年横ばいだったアプリのマンスリーアクティブユーザーが、アプリを良くしただけで300万人から400万人に増えた。そうすると面白いもので、いろんな部署が例えば「うちの住宅ローンの相談窓口も載せてくれ」なんて寄ってくる。最初に玉を突くのは大変だけど、転がり出すと、雪だるまみたいに勝手に大きくなる。なかなか動かないと思っていた大企業が、割と面白くなってくるんですよ。
賛同されないことにこそ、価値がある
—— 磯和さんのキャリアを振り返ると、前例のない挑戦を数多くされていると思います。大きな組織にいて、なぜそのような挑戦をし続けられるのでしょうか。
磯和:そもそも、最初はやるしかなかった。
バブル崩壊に伴う不良債権問題への対応として、減資をはじめとしたこれまでにない経営判断が求められた。 減資の実施には、さまざまなステークホルダーへの配慮や手続きが必要であり、前例も限られていました。手探りで制度や運用を整理しながら進めていく必要があり、大きな困難が伴なった。 実際に複数回の株主総会対応を行うなど、前例のない対応が続きましたが、それでも前に進むしかなかったのです。振り返れば、当時の挑戦は、積極的に選んだというよりも、状況に向き合い続けた結果だったと思います。
—— 前例のない挑戦は、最初は必然だったと。ただ、やるしかなかったとしても、それを乗り越えられる人はそう多くありません。その後のキャリアでは、むしろ自ら進んで前例のないことに挑んでいるように見えます。
磯和:大企業でアプルーバル(承認)を取れるものは、流行らないと思ったほうがいい。みんなが同意するものは、どこでもやるんですから。差別化なんてできないんですよ。だから私は、賛同されないほうが、自分にしかわからないものだということだから、むしろ嬉しい。手段が目的化している人が多すぎるんです。アプルーバルは本来、何かを実現するための手段でしょう。なのに、それを取ること自体が目的になってしまっている。
—— とはいえ、賛同されないことを選び続けるのは、楽ではないはずです。
磯和:そりゃ、すごく苦労しますよ。賛同されず評価されない、と突きつけられると、その時はショックです。「なんなんだよ」と思うことだってある。でも、「まあ、いいやん。別に」と思えるんです。みんなが同意するものに突っ込んでいっても、それはただ人の後を追いかけているだけ。賛同されないということは、そこにまだ誰も見ていない、自分にしか見えていない何かがあるということだから。見方さえ変えれば、そんなに辛くないんですよ。今でも、ちょっと異色な役員として見られているけれど(笑)、いいポジションやないですか、それで。そう思えたら、何も辛くない。
—— その「賛同されないこと」を実際に形にしたのが、「Olive」や「Trunk」といった革新的なサービスなのでしょうか。
磯和:そうですね。ただ、この二つは似ているようで、作り方がまったく違うんです。Oliveは、クレジットカードや銀行口座、証券などを一つにまとめた個人向けの総合金融サービスです。私が「キャッシュレスが来るからやろう」と言い続けて、私が異動した後も部下たちがずっと育ててくれた。いわば組織で育てた、正攻法のプロダクトです。Trunkは、スタートアップと話す中で、口座開設の体験(UX)が悪いということに気づいて生まれた、中小企業や新設法人向けのデジタル口座サービスです。着手したのは2019年でした。6年かかっている(笑)。しかも、最初から一切アプルーバルを取りに行っていないんです。
—— 先ほどのお話に通じるわけですね。
磯和:スタートアップの人たちと話していて「口座開設の体験が悪い」と気づいたので、当時は事務部にあった口座開設の権限を「くれ」と言ってもらってきた。やがてコールセンターが要ると思えば、それももらってくる。いつか作るであろうサービスに必要な部品を、誰にも諮らず少しずつ揃えていったんです。同じ革新的なサービスでも、組織で育てたOliveと、一人で先に形を作ってしまったTrunk。両方あっていいんですよ。

5億円を捨てて、100億円を浮かす
—— 周囲の反対を押し切るとき、磯和さんには一貫した判断軸があるように見えます。たとえば決済の仕事では、既存の収益を自ら削るような提案もされたと聞きました。反対も大きかったのではないですか。
磯和:決済をやっていた頃、他行宛ての送金を無料にする「ことら」を進めようとして、経営会議でずいぶん反対されました。ある役員に「その送金には年間5億円の収益がある。無料にしたら5億円を失うぞ」と。カニバリだ、と。でも私は、こう答えたんです。キャッシュレスが進めばクレジットカードの利用が膨らむし、取れるところはいくらでもある。5億円減る以上に、全体の面積が増えるほうがはるかに大きい。もっと言えば、現金を取り扱う経費だけで年間200億円以上かかっている。半分になれば100億円減る。5億失って100億円の経費を減らせるなら、どちらが得ですか、と。それで押し切りました。
—— 目の前の一点の損ではなく、全体のパイで考える。その発想は、いま向き合っているブロックチェーンにも通じるのでしょうか。
磯和:まったく同じ話です。既存の収益の一部を失うことに目くじらを立てる人は、必ずいる。でも、全体のパイが広がるなら、それでいい。ブロックチェーンも、構造はそっくりなんですよ。
当たり前に持っていた「社会をよくしたい」価値観
—— 大企業の中でここまで動き続けるのは、誰でもできることではないと思います。
磯和:そのとおりで、大企業で最も合理的な処し方は、何もしないことなんです。努力に対して得られるものが統計的に一番多いのは、何もしないこと。期待値が最大なんですよ。
磯和:でもそれでいいのか、と思うんです。それが、この国を衰退に導いてきたのではないか。だから私は、その構造そのものを変えに行く必要があると、本気で思っている。それが一番の原動力です。勝手にでもいいから、世の中を便利にしたい、と。
—— その「社会をよくしたい」という感覚は、どこから来ているのでしょう。
磯和:なぜだろうな、と自分でも考えるんです。たぶん、育ちが関係している。うちは親戚にサラリーマンが一人もいない。だからか、一生懸命働いて収入がインクリメンタルに(徐々に積み重ねて)増えていく、ということに、あまり興味がないんですよ。
—— ほかにも、原点と感じることは。
磯和:学生時代は剣道をやっていたのですが、ある人に「剣道で心を鍛えなさい」と言われたんです。私利私欲とか、名誉欲とか、そういうものから遠くなったのかもしれない。気がついたら、社会のため、世の中のため、というのが自分の中で普通になっていました。

銀行はもともとFX屋 —— ブロックチェーンやAIで、ふたたび金融ビジネスの根幹が変わる
—— AIやオンチェーン金融を、どう捉えていらっしゃいますか。
磯和:まず大前提として、みんな銀行はファイナンサー、つまり融資をするのが仕事だと思っている。でも、もともとはそうではない。銀行のルーツは両替商。要するに、FX屋なんです。
—— FX屋、ですか。
磯和:江戸時代の日本は、2つの通貨が同時に流通する国でした。江戸で鋳造される金貨は、裏づけのない暗号資産のようなもの。米を価値の背景に持つ銀貨は、いわばステーブルコイン。両替商はこの2つの交換レートを調整して、米の豊凶に振り回される国内の景気そのものを調整していた。よくできた国でしょう。国内に暗号資産とステーブルコインが流通していたようなものなんです。そんな中、戦争が起きて、海外から資金を調達できなくなって、国内の預金をかき集めて軍費や大企業に流す役割を担わされた。今の銀行の姿は、国の事情で後から与えられた一形態にすぎないんです。政策によって、ビジネスのメインは変わってきた。そしていま、ブロックチェーンやAIによって、また大きく変わるタイミングが来ている。
—— 特に手応えを感じている技術は。
磯和:AIとプログラマビリティ(プログラム可能性)は、金融と非常にフィット感がある。金融って、もともと数字とルールの世界でしょう。だから、いままで私たちが手でやっていたことの、ほとんどがそのままAIに置き換わっていく。社内の9割以上の業務がそうなると思っています。だったら、恐れずにそうしていったほうがいい。社内の仕事だけではありません。お客様向けの商品にも、どんどんAIを入れていくのが当たり前になると思います。
—— オンチェーンになると、何が変わりますか。
磯和:銀行業務の「面積」そのものが、大きく広がるんです。いま私たちは、日本国内に閉じて銀行をやっている。国境や規制という壁があるからです。でも、オンチェーンに近づけば、その壁を越えられる。いまは国内だけの業務が、アフリカや南米でも普通にできる時代が来るかもしれない。事業の領域そのものが、一気に広がるんです。
—— ただ、そうした話はまだなかなか理解されにくいのではないでしょうか。
磯和:キャッシュレスのときと、そっくりですよ。あの頃も「日本は安全だし、偽造通貨もない。ATMもこれだけ普及している。だからキャッシュレスにはならない」と、もっともらしい理屈が並んだ。でも、たかだか10年で、財布から札が消えたでしょう。いまの常識なんて、10年で全部変わる。ブロックチェーンも、まったく同じです。

大企業を社会の「プリズム」にして、日本の産業構造を変革する
—— そうした「全体のパイで考える」発想は、いまの取り組みにも一貫しているように見えます。現在、最も力を入れているのはどんなことでしょうか。
磯和:「イノベーション・カタリスト」という新しい役職を作っています。アジア、日本、ニューヨークで、中身まで把握しているスタートアップが、今合わせて約2000社ある。この2000社と、大企業・中堅企業をつなぎたい。それで日本の産業構造を変えたいんです。
—— M&Aによる出口とは違うのですか。
磯和:違います。買収して、経路依存性(過去のやり方に縛られて変われない組織の性質)の高い大企業側に寄せて、どうするんですか。スタートアップの良さが失われると思う。私は、逆をやりたい。大企業が持っている技術のほうを、スタートアップに寄せたい。
磯和:たとえばスタートアップに大きな資金を注いで、ROI(投資収益率)が立たないために大企業の中で眠っている特許を一つにまとめれば、新しいパイが生まれるかもしれない。縮んでいく国で限られたものを取り合うより、全体のパイを大きくする。「ことら」のときと、同じ思想です。
—— なぜ、大企業という立場を選び続けるのでしょう。
磯和:せっかく大企業に勤めるなら、大企業に使われるのではなく、大企業をプリズムのようにして世の中に影響を与えるほうがおもしろい。大企業の道具になるのではなく、大企業を道具にしたほうがおもしろいじゃないですか。
磯和:私一個人が「キャッシュレスだ」と叫んでも、誰も振り向かない。でも、巨大な看板を持つ組織が動けば、世の中の流れそのものが変わる。これは一種の信用創造なんです。大企業の信用力は、社会を動かすために使える資産なんですよ。
「経路依存を、良しとしない人」と働きたい
—— これからの時代に活躍するのは、どんな人だと思いますか。どんな方と働きたいですか。
磯和:経路依存を良しとしない人ですね。大企業に入れば、楽なんですよ。言われたことだけやって、時間になれば帰って、福利厚生も社会保険も整っている。これほど居心地のいいものはない。自分はいいかもしれない。でも、そんなことをしていたら社会はだんだん縮小していく。それではダメだ、と思える人。会社のことだけでなく、社会のことも考えられる人と、一緒に働きたい。
—— それは、もともと大企業にいた人に限らない。
磯和:昔は、ずっと大企業にいた人でないと、大企業を使えなかった。でも今は、中途で外から入ってきた人が、大企業を使う側に回れる時代になっている。スタートアップが大企業をレバレッジとして使って、日本を変えていく。成熟したこの国では、その形しかないと思っています。

賛同されないものにこそ、チャンスがある。誰もやらないからこそ、価値がある。一見すれば、大きな組織の中で損な生き方かもしれない。だが磯和氏は、その姿勢を30年以上にわたって貫いてきたからこそ、常に業界を牽引するイノベーターであり続けている。
その裏側には、ただ子どもの頃から変わらない「世の中をよくしたい」という純粋な思いがあった。