2014年8月、日本人のほとんどが暗号資産を知らなかった時代に立ち上がった取引サービス「Coincheck」。2017年には世界のビットコイン取引に占める日本円建ての割合が最大となり、Coincheckはその熱狂の中心に立った。著書『いまさら聞けないビットコインとブロックチェーン』シリーズは累計12万部を突破している。2024年12月には、Coincheck Group N.V.としてナスダック上場を果たした。コインチェック株式会社 共同創業者 / Head of Ecosystem 大塚雄介氏は、日本の暗号資産産業を最前線で切り拓いてきた人物である。
かつて物理学者を志した少年は、なぜ「怪しい」と言われたクリプト領域に人生を懸け、今も走り続けるのか。話を聞くと、その答えは尽きない真理への探究心と、「歴史に名を残したい」と語る自らの人生を、俯瞰して見つめる眼差しにあった。
「歴史に名を残したい」科学者に憧れた少年時代

—— まずは、どのようなキャリアを歩まれてきたのか、節目ごとの意思決定の理由や当時の心境とあわせて、キャリアのスタートからお聞かせください。
大塚:私は子どもの頃から結構一貫しているところがあるので、幼少期から話を始めてみようと思います。小さな頃から、ガリレオやニュートンなど、科学者への憧れがありました。彼らは、それまでの人類が考えてきたことの先に新しい概念を考えつき、死んだあともこうして私がその本を読んでいるのがかっこいいなと思っていたんです。なので、「自分が何かを発見して歴史に名を残したい」という思いが、人生のテーマとして小さい頃から漠然とありました。それで大学院に行き、量子力学を学んでいました。
大塚:ただ、やっていくうちに気づいたのは、今生きている時代に発見できることと、できないことがあるということです。量子力学という分野ができた20世紀の初頭は、まだ(科学的な)「発見」がし尽くされてなかったから、アインシュタインは色々と新しいことを発見できた。でも今はもう発見が終わり、応用の時代になっている、そう考えた時に、「俺はこのままずっとこの学問をやっていても、新しいことを発見できる時代に生きていないんじゃないか?」と思うことがありました。時代って、自分ではどうにもできないものがあるじゃないですか。これは事業をする時もそうだと思います。
大塚:そう思っていた時に、技術的な発見をするよりも、それで産業を作っていく道もあると知りました。当時でいうと、ソニーの盛田昭夫さんや井深大さんがいらっしゃって、「そちらもかっこいいな」と思ったんです。そうして、ずっと理系で学問をやってきたのに、大学院を出て突然、リクルートから分社独立したネクスウェイという会社に就職しました。
ピアスに長髪、パンクロック精神で挑んだ就職活動

—— 周囲は大企業に就職する方が多かったのではないですか。
大塚:みんな大企業や外資系銀行に行くんです。でも私はあまりそのようなところに興味がなくて。当時の私は髪を肩くらいまで伸ばして、耳にはピアスをつけて就職活動をしていたんです。
—— かっこいいですね!
大塚:今の私とはイメージが全然違いますよね(笑)。ロックやパンクをずっと聴いていて、大衆に迎合することをよしとしない考え方がありました。だから就職活動でも「採用してほしい」とは1ミリも思っていなくて、「こういう“素”の自分で行って、良かったら行ってもいいよ」みたいな(笑)。
—— 今からは想像がつかないです(笑)。それでも入社されたネクスウェイには、何が響いたのですか?
大塚:ネクスウェイは当時誰も知らない、リクルートの一事業部が独立してできた会社でした。会社に雇われている感覚があまりない人が多く、営業ができれば評価されるし、事業が伸びれば給料も上がる、その上でおせっかいなくらい人の人生に踏み込んでくる、そういったところが響いて、新卒入社の一期生として入りました。若くして新しい事業をやれるところに行きたかったんです。実際、面接では音楽の話しかしていないんです。それで採用してくれるなんて「いけてるな」と思って(笑)。
—— 当時は今よりも「大企業に行くのが当たり前」という価値観が強かったと思います。そのように考えなかったのはなぜですか?
大塚:これはもっと根源的な話になりますが、私の中に「大衆に迎合してはいけない」という価値観があるんです。「就職活動では髪を切らなきゃいけない、ピアスは外さなきゃいけない」という常識に、自分が納得してやるんだったら全然いいと思います。でも、それを外圧によってやることを、とてもダサいと自分の中で思っていました。
大塚:入社式にも、エミリオ・プッチのピンク色のネクタイで行きました。「なんかこの人やばい感じじゃない?」って見られるのは分かっていました。でも、そこで屈したら、引いてはいけない一歩を引いてしまいます。周りに言われたことに屈した自分は、人生が苦しくなった時にも屈してしまうんじゃないかという、よく分からない感覚があったんです(笑)。
—— とにかくパンクロッカーだったんですね(笑)。
大塚:そうなんですよ。そのようなところに屈しないことで自分を鍛錬している、という自分の中の修行でした。常識は敵、と考えていました(笑)。
「むちゃくちゃ売れない」営業時代 学んだ“人の心の動かし方”

—— そうして入社されたネクスウェイでは、どのような仕事から始められたのですか。
大塚:ネクスウェイには9年いたのですが、最初の頃は「ザ・営業」です。でも、ロックの考え方をこじらせていて、かつ大学院までロジック一辺倒でやってきた人間なので、むちゃくちゃ売れないんです。1年目は本当に売れませんでした。私は最初、ロジカルな提案をしたら受け入れられると思っていたんです。世の中の経済は論理で動いているからです。でも、そんなことはありませんでした。世の中を動かしているのは人で、相手の気持ちをどう動かすかを学ぶのに数年かかりました。
—— そこからどうやって売れるようになったのですか。
大塚:2年目に「新しい事業をやりたい」と手を挙げて、新卒入社の1期生だったこともあってチャンスをもらえたんです。20年目の先輩、10年目の先輩、私の3人で、今でいうSaaS、当時でいうASPというサービスをゼロから作る事業をやらせてもらいました。とはいえ、先輩たちは企画や経営報告をする側なので、実際に営業するのは実質、私しかいませんでした。企画のみんなが静かに仕事をしているフロアで、ひたすら電話をかけ続けて、ひたすら断られまくるわけです。
—— 転機はいつ訪れたのですか。
大塚:半年くらいは「新規事業だしね」と目をつぶってもらえていたのが、半年を過ぎたあたりから社内に「この事業、大丈夫?」という雰囲気が出てきました。3人に大きなプレッシャーがかかって、でも俺が売らないとどうにもなりません。だからがむしゃらに、お客さんのところに毎日のように通いました。その結果、今でも覚えていますが、全国展開している化粧品小売のブランドが導入してくれたんです。導入を決めてくれたIT部長の方が、「大塚さんが本当に社員のように通ってくれて、その熱意が伝わった」と。社内のシステムを入れ替える大きな決断で、リスクを取って社内を説得してくれたんです。その時に、「人の心はこうやって動いて、受注につながるんだ」「相手を動かすのは、お金や値段ではないんだ」と気づきました。お客さんに、ものすごく学ばせてもらいました。
大塚:3年目には営業の数をこなして自分の勝ちパターンを見つけ、売れるようになって、事業が黒字化しました。それでホールを借りた表彰式で壇上に上げられて、全社表彰をしてもらいました。その時、泣いたんです。28歳くらいで(笑)。できなかった時の自分や、「事業をどうにかしなきゃ」という自分で自分にかけていたプレッシャー、それを越えてお客さんに価値提供できるプロダクトができたこと。色々なものがこみ上げてきて、壇上でコメントしなければいけないのに言葉が出てこないんです。それを見たチームのみんなも、私が苦しかったのを知っていたから大泣きしていました。ビジネスで結果を出すことの面白さを感じられたのは、あの全社表彰の時でしたね。
無給で働いた2年間

—— ネクスウェイ在籍期間の後半では、事業企画やプロダクトづくりにも携わられていたそうですね。そこからどのようにスタートアップの世界へ入っていったのですか。
大塚:7年目くらいの時に、もっと自分でハンドリングして作りたいという気持ちが強くなってきたんです。それで働きながら、起業家の人たちが集まる場所に夜な夜な顔を出すようになりました。自分には何もないから、ギブできることを探していたんです。いつかは起業するのではと思っていたんでしょうね。
—— その中で、和田晃一良さんたちと出会うのですね。
大塚:界隈で色々な起業家に会いましたが、正直に言うと、あまりシンパシーを感じられずにいました。その中でピンときたのが、和田と、ジェームズ・ライニー、溝部拓郎の3人です。彼らはコインチェックの前身にあたるレジュプレスで、人生のストーリーを書くサイト「STORYS.JP」を運営していて、面白そうかもと思って申し込んでみたんです。そうしたら夜の11時くらいにジェームズから突然「明日の8時くらいに来れる?」と連絡が来て、翌朝行ったら3人がいました。話してみたら、ものすごく気が合ったんです。
大塚:当時、拓郎が22歳、和田が21歳、私が31歳。ジェームズは資金調達ができ、拓郎と和田はデザインも含めてモノが作れるエンジニア。このチームには、もう少し大人で社外とうまくコミュニケーションが取れる人がいた方がいいなと思っていたら、ジェームズから「来週来れる?」と言われて、「いいよ」と。そこから2年間、無給でSTORYS.JPに取り組む時間が始まりました。
—— 10歳ほど年齢が離れていても意気投合できたのは、なぜだったのでしょうか。
大塚:ベースとして、この4人は仲の良い友達という感じではないんです(笑)。未だにベタベタ遊んだりしませんし、趣味も違います。ただ、一つのゴールに対して「結果を出そう」という価値観は一緒でした。拓郎に好きな本を聞かれて『フェルマーの最終定理』を挙げたら、拓郎と和田が声をそろえて「めちゃ面白いですよね!」と(笑)。数学や物理という共通言語は、経営していく上で非常にやりやすかったですね。
—— 無給の2年間、生活はどうされていたのですか。
大塚:ネクスウェイで働き続けていました。日中はそちらで働き、朝の6時から8時と、夜の8時から深夜2時くらいまでSTORYS.JPをやる生活です。プロダクトがPMF(市場に受け入れられた状態)していないのに私が正式に入ったら、資金の減りが早くなると思ったんです。しかも私は結婚して家を買っていて、ローンもありました(笑)。だから、PMFするまでは二重生活でいいやと決めていました。
—— すさまじい生活ですね。チームの中では、どのような役回りだったのですか。
大塚:実は最初、数ヶ月遅れで合流した遠慮があって、プロダクトに口を出さなかったんです。そうしたらある時、拓郎に「なんで大塚さんはアイデアを出さないんですか?」とめちゃくちゃ言われました。「気を遣ってるんだよね」と答えたら、「それ意味ないっすね」と(笑)。プロダクトを成功させるためにここにいるんだから、アイデアを出さないのは価値がない、という考え方を彼らは持っていました。そこで気づいたのは、年齢は関係なく、価値観が近くて違う能力を持っている人とやることがとても重要だということです。
—— そこから、なぜ暗号資産だったのでしょうか。
大塚:STORYS.JPは途中まではいい感じに伸びていたのですが、線形にしか伸びなくなって、次の事業を考え始めます。次に、私のアイデアで「UNITE」というビジネスSNSを和田に作ってもらいました。ユーザーは増えたのですが、アクティビティは増えず、1ヶ月でバシッとやめました。そこで学んだのは、「和田がピンと来ている課題じゃないと、プロダクトとして勝てないな」ということです。だから次に和田が「このビットコインってやつをやろうと思って」と言った時、まずやってみようと決めました。そうしたら和田が「じゃあ僕、1ヶ月間プロダクトを作るんで連絡取れなくなります」と言って、本当に連絡なしで作り続けたんです。
—— 有言実行ですね(笑)。
大塚:それで、リリースする1週間前に突然「大塚さん、プロダクトできたんでプレスリリース書いてください」と連絡が来て、私は見たこともないサービスのプレスリリースをその日のうちに書きました(笑)。2014年8月のことです。
—— そのような状態から、なぜ「いける」と判断できたのですか。
大塚:サービスを始める段階では、いけるかどうかは全く分かりませんでした(笑)。ただ、やりながら足りない情報を全部埋めていきました。まず、シリコンバレーで起こったことが数年後に日本で起こる、いわゆるタイムマシン経営の考え方。当時、アメリカではCoinbaseが大きな調達をして伸びていました。次に、隣接する産業として、日本のFXには世界最大級のマーケットがありました。そして法律です。マウントゴックスの破綻の後に、暗号資産の取り扱いに関するペーパーを出していた国会議員を見つけて、TwitterでDMを送りました。和田と議員会館まで話を聞きに行くと、当時の与党はあまり規制するつもりはなく、産業として育てようとしていることが分かってきました。これはちゃんと産業として伸びるなと理解できました。
—— 見事な読みですね。
大塚:そういう一次情報を取ることを、ひたすら私と和田でやっていたんです。競合のサービスを全部触り、競合の社長にも議員にも直接会っていました。すると、外から見える情報と、中にいる人にしか分からない「隠れた真実」があることが見えてきます。私たちで言えば、当時の与党が規制しない方針だということと、サービスを出したらユーザーと入金がひたすら増えていくこと。当時、世の中では「ビットコインなんて詐欺だ」と言われていたから、大企業が入ってきませんでした。隠れた真実を知っている私たちにはブルーオーシャンで、その確信度がどんどん高まっていきました。
—— 競合はすでにいたわけですよね。
大塚:Coincheckは独立系では一番最後の参入で、bitFlyerやBTCボックス、etwings(後の「Zaif」)がすでにありました。ただ、触ってみると、使いやすさの面ではまだ改善の余地が大きいと感じました。だから、STORYS.JPで磨いてきたUX(使い心地)を持ち込めば勝てる領域だと考えて参入しました。当時は法規制が未整備で、私たちは口座開設やビットコイン購入の動線をどの業者よりもわかりやすく簡単にしたので、マウントゴックスの破綻で行き場を失っていたユーザーが、自然と集まってきたんです。
—— 資金調達はどうされていたのですか。
大塚:STORYS.JPの時に調達した3,000万円を、大事に大事に使っていました。給料は和田だけで、私はなし(笑)。(Coincheckをローンチしてから)2年目くらいにさすがに調達しようとなったのですが、当時ビットコインに投資するVC(ベンチャーキャピタル)は誰もおらず、「そんな詐欺なのはやめろ」と言われて、全く調達できませんでした。唯一、セレスの都木聡さんだけが「いくらでもいいよ、出すよ」と言ってくれました。都木さんはクリプトをよく理解していて、この領域に懸けていました。セレスが出資してくれる形になり、本当に救われましたね。
急成長を駆け抜けた「青春」 ビットコイン世界最大の市場の中心へ

—— サービスが大きく伸び始めたのは、いつ頃だったのですか。
大塚:2016年から2017年くらいですね。ICO(トークン発行による資金調達)で各アルトコイン(ビットコイン以外の暗号資産)が一気に伸びていって、その波に乗っていきました。ただ、その頃もチームはエンジニアも含めて5、6人でした。私たちがCoincheckを始めてから、4回、事業に追い風が吹いたんです。1回目は、私たちが暗号資産をアプリで買えるようにしたことで、これが2015年のことです。2回目の波は、2017年頃にイーサリアムやXRPといったアルトコインがブームになったタイミングです。当時のエピソードで今もよく覚えているのは、「Augur」というトークンです。「世界で最速で俺らが取扱いを開始しようぜ」と、夜中じゅうAugurが発行されるのをずっと見ていて、発行されたらすぐにシステムに取り込んでCoincheckで販売を開始しました。
大塚:ちょうどその日、オフィスの天井からものすごい水漏れがあって。あっちでは水漏れ、こっちでは「Augur出たー!」みたいなわちゃわちゃした中でリリース作業を続けたんです(笑)。いま振り返ると青春の一幕みたいでしたね。とても面白かったです。
—— 最高の思い出ですね(笑)。2017年には、世界のビットコイン取引に占める日本円建ての割合が最大になるほどの熱狂でした。その渦中にいた社内は、どのような雰囲気だったのですか。
大塚:忙しすぎてそれどころじゃなかったです(笑)。朝から晩まで働いて、アドレナリンが出まくっている状態でした。人がどんどん増えてオフィスが狭くなって、業績はひたすら伸びていきました。伸びた分は社員に還元したので、頑張った分がリターンとして返ってくる仕組みでした。
大塚:その頃は日本中のメディアが「ビットコインとは何なのか」を気にし始めていて、解説すること自体が市場を広げるので、私がメディア対応をしていました。ただ、当時は明らかに働きすぎで、秘書に「大塚さん、朦朧としながら機械人形のように話していました」と言われたくらい(笑)。同じ解説を繰り返しすぎて、話を覚えてしまっているんです。
—— 3回目と4回目の追い風はどのようなものだったのでしょうか。
大塚:3回目が、2回目と時期がかぶるのですが、ICO(Initial Coin Offering;トークン発行による資金調達)のブームが来たことです。イーサリアムチェーン上で新しいトークンが次々に発行されて、市場全体が一気に伸びました。4回目が2020年後半から21年にかけてのNFTのブームと歩をそろえた暗号資産価格の上昇で、きっかけのひとつは「CryptoKitties」というイーサリアム上で猫のキャラクターのNFTを集めて売買するゲームが出てきたことでした。NFTを買うために、みんながイーサリアムを買うようになったんです。こうした追い風に乗って自分たちを適応させることができたかどうかが、各社の伸びを分けたと思います。補足すると、その後も国内外の暗号資産業には新たな追い風が生じています。2024年のビットコイン半減期や2025年の米国でのトランプ政権誕生、日本国内では今年暗号資産を金商法の規制対象とする改正法が成立したことや、暗号資産の売買益への課税が総合課税から申告分離課税に移行することに進展が見られることなども、追い風と言ってよいかと思います。
—— 話を戻しますが、追い風のときに夢中になって働いている様子は、健康面が心配になる働き方です(笑)。
大塚:さすがにやばいなと思って、秘書に時間管理をしてもらうようになりました。最初は「秘書を入れるなんて偉そうで嫌だな」と思っていたのですが、和田に「大塚さんが単一障害点になっちゃいますよ」と言われて、「確かに」と(笑)。当時は開発が和田で、それ以外は採用もPRも全部私でした。そこから段々と、人に業務や権限を渡し始めたのが2017年くらいですね。
—— 当時、最先端の領域で日本が世界の中心になることはほとんどなかったと思います。なぜ日本で、これほど暗号資産が伸びたのでしょうか。
大塚:2つあります。1つは、誤解を恐れずに言うと日本には投機を楽しむ文化と、投じる資産の両方があったこと。だって、FXの取引高は世界最大級なんですから。これもまた、隠れた真実だと私は思います。もう1つは、「失われた30年」です。日本株のバブルを経験したことがない30代、40代が、人生で初めてのバブルをクリプトで経験したんです。自分の資産が寝ている間に増えていき、「投資って儲かるんだ」と初めて気づけたんです。だから、暗号資産にお金が集まってきたんです。
大塚:そこにCoincheckは、アプリ1つでビットコインを買える形を用意しました。私の言葉で言うと、投資の「コンシューマライゼーション(誰でも使える形にすること)」です。難しい技術を誰でも使えるプロダクトにし切れたら、会社の価値はめちゃくちゃ上がります。シリコンバレーで伸びている企業は全部そうです。だから私たちは、「(これまで投資をしたことがない)小学生のお子さんがいる子育て世代の人たちが(かんたんに)使えるような親しみやすいプロダクトにしよう」とずっと思っていました。東京のビジネスパーソンしか使えないレベルでは、難しすぎるんです。自分のプロダクトはどうしても“かっこいい”ものにしたくなりますが、マジョリティにちゃんと合わせられるかが勝負でした。プロダクトは和田がその思想で作り、説明とマーケティングは私が担っていました。だからCoincheckのテレビCMは、あらゆる世代の人が知っているタレントの出川哲朗さんが、ただサービス名を連呼するという、徹底的に分かりやすいものにしました。
人生を、映画のように俯瞰する 尽きない「真理」への探究心

—— ここまで順調な面を伺ってきましたが、苦しい局面もあったのではないですか。
大塚:もちろんありました。アップサイドがあれば、ダウンサイドも一定の確率で発生します。理解の範囲や想像を超えたことが本当にたくさん起こるんです(笑)。1つ1つ対処するしかないのですが、和田と2人で「ヤバくない?これ」「どうする?」と言いながら乗り切っていくのは、自分たちのパワーを出し切る充実感のようなものがありました。大変な局面を真面目に捉えすぎると、辛くなっていきます。深刻なことを真摯にとらえる一方で、精神面では一定深刻にしすぎずやりきることが、起業家にとって本当に重要なんです。
大塚:仲間がいることも大事です。私はどちらかというとネガティブに考えるところがあるので、1人だったら辛くなっていたと思います。でも、和田がいました。私が深刻な問題をどうにかしようと考え尽くしていると、和田は「もうこれ以上考えても仕方ないっすね。なるようになりますよ」と言うんです。「えぇ、それでいいの?」って(笑)。でも、あいつがそう言ってくれるのが良かったんですよね。
—— どんな状況も俯瞰して楽しむ。その構え方は、どこで身についたのでしょうか。
大塚:小さい頃、私は映画をいっぱい観ていました。SFもサスペンスも。漫画や伝記もたくさん読んでいて、どこか自分の人生を映画のように捉えているところがあるんです。色々な方の自伝には起承転結があって、困難が深ければ深いほど、その後の輝きも増すじゃないですか。だから自分に劇的な状況が来ても、「これ、映画で言うと、この後に挽回したらヒーローになれるやつじゃん」「これは自分の映画の中のストーリーの途中だな」と思えるんです(笑)。
大塚:私はソニーをとても尊敬していて、井深大さんも盛田昭夫さんも、私たちには想像もつかないような苦しい状況を経験しています。ビジネスでもスポーツでも学問や芸術でも、あらゆる領域で、先人が苦労しながら道を切り拓いたから今があるわけです。先人の方々へのリスペクトと憧れがとてもあって、「ビジネスにおいて、自分にそれができるのか」を常に問い続けているところがありますね。
—— 多くの映画を見たり、本を読む中で、特に印象に残っている物語はありますか。
大塚:先程も話題にした『フェルマーの最終定理』ですね。何世紀にもわたって誰も証明できなかった定理に、多くの数学者が人生を懸けてきた歴史が書かれているんです。中には、長い年月、誰にも評価されないまま向き合い続けた人もいます。それを読んだ時に、「俺は、誰からも評価されずに、同じことに向き合い続けられるか」と自分に問うわけです。名声や賞金のためではなく、ただ証明したいから向き合うのです。そういうふうにものごとに懸けている人たちの美学に比べたら、自分の10年なんて、まだまだ語ってはいけないなと思っているんです。
—— 比較する対象が、昔から偉人なのですね。
大塚:私には、長く細く生きたいという願望があまりないんです。短くてもいいから、大きなインパクトを与えたいんです。自分が伝説になりたいんでしょうね(笑)。もう少し分かりやすく言うと、小さな頃から「単位になりたい」と思っていました。1ニュートンや1キュリーのように、永遠に残る普遍的なものを世の中に残したということだと思うんです。だから、会社が大きくなることやお金持ちになることには、あまり興味がないんです。物理学者の野村泰紀さんも、アインシュタインが歴史に残る論文を立て続けに出せたのは20世紀初頭に生きていたからだと話されていました。それくらい、どの時代に生きているかを意識してテーマを決めなければいけないし、「あ、これは企業もめちゃくちゃ一緒だな」と思いました。どの時代に生きて、どこで一番良い価値を社会に出せるかを考える人生の中で、たまたま私にはクリプトがあったんです。
—— そのような視座や発想は、子どもの頃に近くにいらした大人の方だったり、当時の環境が影響していたりするのでしょうか。
大塚:全くないです(笑)。父は会社員で、美味しいものを食べて幸せに暮らせたらいいじゃん、という人。母も「健康に暮らしてくれればいい」と、勉強しろと言われたことがありません。姉は手芸が好きな人で、「なぜ弟はこうなったのか全く分からない」と家族に言われています(笑)。
大塚:子どもの頃は本をたくさん読んでいたわけでもなく、映画は、金曜ロードショーのようなテレビで放映されるものですが、浴びるように観ていました。私は群馬で育ったのですが、子どもの頃ってスポーツができるやつが注目されたり、足が速いやつがかっこいいというようなヒエラルキーがあるじゃないですか。「このまま、このヒエラルキーの中で生きていくの、嫌だな」と思って(笑)、「なんとかここから脱出しなきゃ」という気持ちが強かったんです。ただ、こういう話は家でしても伝わらないので(笑)、あまり話すことはなく、家族から「何を考えているか分からない」とよく言われていました。
—— ご自身を俯瞰して見る力がとても強いと思うのですが、その力はどこで育ったのだと思いますか。
大塚:今思うと、映画を観てそれに自分を照らし合わせるようなことをやっていたんだと思います。それから、気がつくと、自分が好きな物理やロック、映画の話を、全て抽象度を上げて考えているんです。すると、「こことここが共通するじゃん」と分かる瞬間があります。それがとても楽しくて、「世の中の真理に気づいた」という感覚になるんです。色々な分野を深掘りした結果、自分の仮説がつながっていくのを、楽しいゲームとしてやっていました。それを、人生にも当てはめていった感じですね。
大塚:これは誰かに教えられたわけではなく、いつも寝る前にそういうことを考えているのが楽しいんです。事業でも、始めた瞬間は変数だらけじゃないですか。一次情報を取っていくと、変数が埋まっていきます。逆に、考えるテーマが無くなってくると、日々がすごくつまらないんです。
—— 大塚さんを語るうえで「インプット」は欠かせないと思います。今も、ものすごくインプットされていますよね。
大塚:「知りたい」。以上です(笑)。私は、同じテーマの本を5冊ほど読むんです。すると「あ、同じことを言っている」と分かるんです。「古典」と言われる名著が読み継がれていることには、理由があるはずです。人の気持ちで物事が動くとして、では人の気持ちはどう動くのか。そういう人類の真理が知りたいだけです。社内でもインプットが多いとよく言われますが、息を吸うようにやっているんです。
人間からAIへ ここから始まるクリプトの黄金時代
—— ここまで過去のお話を伺ってきましたが、未来のお話もお聞きしたいです。AIやブロックチェーンで世の中が大きく変わっていく中で、この産業は今、どのような地点にいるのでしょうか。
大塚:産業全体で言えば、クリプトはやっと序章が終わったような状況です。ビットコインが生まれ、玉石混交の暗号資産が生まれ、Web3の波を経て、いまはオンチェーン金融(ブロックチェーン上で完結する金融の仕組み)という次の波が見えてきています。Coincheckをはじめとする取引所、つまりアプリケーションもウォレットも整った。そうしたら今度は、「これは人間のためというより、AIエージェントが使うための技術やしくみになるのでは?」という時代が目の前に来ています。
大塚:だから、多分ここまでが序章だったんですよね。ここから黄金の時代に入っていきます。それはやっている私たちには分かるけれど、外にいる人たちからは「もうクリプトなんて終わったでしょ」というように見えています。このギャップが、逆にめちゃくちゃブルーオーシャンだと思っているので、やっている人は信じてやり続けてほしいなと思います。
—— その中で、大塚さんご自身は、どのような役割を担われていくのでしょうか。
大塚:コインチェックのエグゼキューション(事業の実行)には、現社長をはじめ優秀な人がたくさんいます。一方で、ファウンダー(創業者)にしかできないことがあります。こうして未来がどうなっていくかを語ること。それを良いと思ってくれる、実行力の高い人たちに入ってもらうためのリクルーティング。それから、実行に集中していると外側が見えにくいので、外で色々な方と話したことを社内にインプットすること。そういうことに、自分の時間をたくさん使っていくことになると思っています。
—— 今後、大塚さんはどのような方と一緒に働きたいですか。
大塚:1つは、AIとクリプトの未来のビジョンに共感できる人です。そこに自分の時間と人生を懸けていくわけですから、信じられなかったら単なる仕事になってしまいます。私たちと仲間になることで、その人もCoincheckの歴史の一部になれると思うんです。それを自分の人生において楽しいと思える人がいいと思います。
大塚:仕事には2つあると思っています。1つは日々の生活費を稼ぐこと。これは必要ですが、それだけだと無味乾燥になってしまいます。やはり、「自分は歴史のこの中で、これを成し遂げたんだ」と言えるものを持っていた方がいいと思います。それは自分の内省から出てこないといけないものです。クリプトは先程話したように、ここから黄金の時代に入っていきます。その時代に自分の人生の10年をかけることを「楽しい」と思える人に、入ってもらいたいですね。そこを信じられるかどうかだし、信じてもらえるように私たちから語りかけていきたいです。

人生を、一本の映画のように観る。群馬で金曜ロードショーを観ていた少年は、科学者に憧れ、時代を読んで実業家になり、共に成果を追い求められる仲間に出会い、その後の日本の暗号資産業界に大きなインパクトを与えるサービスのプレスリリースを書いていた。その一つひとつの場面を、大塚氏は自分の映画の1シーンのように駆け抜けてきた。困難さえも「ストーリーの途中」と捉え、真理を探究し続けるその眼差しが、向かい風の強いクリプト領域に懸け続けてきた原動力であった。
「自分が何かを発見して歴史に名を残したい」。少年の頃の願いは、科学の発見から事業へ、今も一貫して続いている。クリプトの黄金時代はこれからだ。大塚氏の物語も、まだその途中である。