近年話題に上ってくるようになったeスポーツ。
日本ではまだゲームといえば娯楽のイメージが強いかもしれませんが、世界ではプロプレイヤーだと名乗ればサインを求められるほど人気のところもあるようですよ!
そんなeスポーツですが、いつ、どこから始まり、どのようにして発展してきたのでしょうか?
今回Pacific Metaマガジンでは、eスポーツの歴史について以下の内容を中心に紹介します。
- コンピューターゲームの大会の始まり
- PvP、FPSの登場
- 世界初のプロゲーマー
- eスポーツの誕生
- 日本eスポーツ連合の発足
- eスポーツとオリンピック
- 新型コロナウイルスの影響
ほかにもeスポーツの歴史について年代ごとに紹介していきます❗️
eスポーツとは
eスポーツとは、エレクトロニック・スポーツの略で、広義には電子機器を使って行う娯楽、競技、スポーツ全体を指す言葉であり、コンピューターゲームやビデオゲームを使ったスポーツ競技のことを指します。
使用される端末やルールはゲームタイトルごとに様々で、また選手やファンもそれぞれのゲームタイトルごとに存在します。
eスポーツは全体で一つの市場というよりは複数競技の市場が集合したものという認識でいいでしょう。
eスポーツの歴史
さて、ここからは年代ごとにeスポーツの歴史に迫っていきます❗️
1970年~
eスポーツの歴史で最も古くに開催された大会として知られているのが、1972年10月19日にスタンフォード大学の学生が開催した『スペースウォー!』の大会です。
スタンフォードの学生たちが招かれて開催され、大賞商品として雑誌『ローリング・ストーン』の1年分の購読料が用意されました。
2年後、1974年には『セガTVゲーム機全国コンテスト東京決勝大会』という日本最古のeスポーツの大会が開催されます。
このコンテストは、全国のゲームセンターで大会を開き、勝ち残った者たちが東京で決勝戦に挑むという方式で行われました。
1980年~
1980年にはアメリカのビデオゲーム会社、アタリが『スペースインベーダー選手権』を開催しました。
スペースインベーダー選手権は参加者がなんと全米で1万人も集まり、最初の大規模なコンピューターゲーム大会といわれています。
この大規模な大会の開催は対戦型ゲームがメジャーなレジャーとして確立されるきっかけとなります。
1990年~
1990年代では、FPSを中心にゲーム人気が高まっていきます。
さらに世界初のプロゲーマーの誕生やゲーム大国韓国でのゲーム人気が高まり始めたりと、ゲーム業界にとって躍進の年といえるでしょう。
それでは見ていきましょう❗️
ストリートファイター2の登場
1991年にはカプコンがアーケード用対戦格闘ゲーム、ストリートファイター2を発売します。
ストリートファイター2は小学生から若年の社会人まで幅広い層に支持され、多くの続編が作られたり多くのゲーム機への移植が行われ、ゲームをプレイしていない層にまでゲーム内のキャラクターが知れ渡りました。
このストリートファイター2の爆発的ヒットはPvPが広まるきっかけとなりました。
1995年には、「スーパーストリートファイターⅡ X-Grand Master Challenge-」と「ストリートファイターZERO2」を競技種目とする大会、Battle by the Bayが開催されました。
Battle by the Bayは格闘ゲームの世界的大会であるEVOの前身で、カリフォルニア州サニーベールで開催されました。
FPSゲームの登場と人気
1992年には初期FPSゲームの代表作、Wolfenstein 3Dが発売されます。
Wolfenstein 3Dはid Softwareというゲーム会社によって開発されたWolfensteinシリーズの3作目です。
舞台は第二次世界大戦、アメリカ軍人B.J.ブラスコヴィッチが拳銃やナイフといった武器を使って兵士たちと戦い、アドルフ・ヒトラーの強化兵士製造計画「アイゼンファウスト計画」を阻止していくというストーリーです。
本作はシェアウェアを通じ多くのゲーマーに拡散されヒットし、Macintosh、スーパーファミコン、3DO、ゲームボーイアドバンスなどに移植されました。
その後、id SofrwareはWolfenstein 3Dの技術を応用した作品、DOOMを1993年に発売します。
DOOMはFPSの代表作として知られており、その後のFPSに大きな影響を与えました。
さらに3年後、1996年にid SoftwareはQuakeを発売しました。
Quakeでは、それ以前は2D描画されることがほとんどであった武器、キャラクター、アイテム等がビルボードと呼ばれるスプライト描画テクニックによって3D描画されました。
DOOMにはなかった高さの概念が導入されたり、インターネットでのマルチプレイを意識されていたりと当時は斬新だったシステムがいくつも導入されているゲームです。
1998年にはSierra StudioよりHalf-lifeが発売されます。
ただ敵を倒すだけでなく仲間と協力しながら真相にたどり着き、生き延びる、という目的、謎解き要素、ドラマ性が詰まった点が大きな特徴です。
一人称視点にこだわったストーリー、精巧な動きのAIが生み出す没入感も人気の理由となりました。
そしてこのHalf-lifeのMODとしてリリースされたのがカウンターストライクです。
MOD版のβ1は1999年6月に、正式版の1.0は2000年にリリースされました。
現在の最新バージョンである1.6は世界で最も遊ばれているオンラインゲームの一つです。
その人気から世界規模の大会で競技種目として選ばれてきました。
さて、このようなゲームの登場によってFPSの人気に火がついていったわけですが、この頃にはCyberathlete Professional League(CPL)というコンピュータとコンソールビデオゲームの大会に特化したプロスポーツトーナメント組織が登場します。
CPLは1997年6月27日にテキサス州ダラスでエンジェル・ダニエル・ムチョスによって設立されました。
2005年に開催されたCPLワールドツアーでは賞金総額100万ドルと、かなり規模の大きな大会を開催していることがわかります。
世界初のプロゲーマー
On this week's @FPOrigins, @TSMReginald joins me & @djWHEAT for a chat about his & @TSM's origin stories. Also, @TSMReginald is a god tier (but good-natured) troll in Valorant. 😉
Listen or watch here:https://t.co/kvQAZeg2crhttps://t.co/jfmHVpLNUz pic.twitter.com/6hjsrALYlc
— Dennis "Thresh" Fong (@thresh) June 17, 2020
プロゲーマーが登場したのもこの頃です。
Dennis Fong/デニス・フォン(Thresh/スレッシュ)さんは香港出身のアメリカ人で、世界初のプロゲーマーとしてギネス世界記録に認定されています。
Threshさんは1995年にDOOMの大会で優勝し、その後はQuakeを中心に活躍しました。
賞品としてフェラーリを贈られたこともあり、賞金とスポンサーからの給与を合わせると年間10万ドルほどの収入を得ており、ゲームで生活していくという概念を作った人物といえるでしょう。
Threshさんは2001年に引退しましたが、League of Legendsに登場するチャンピオン、『Thresh』の名前のルーツとなるなど多くのゲーマーに尊敬される存在です。
また、兄の立ち上げた会社でCEOを務めたり、ゲーマー向けのサービスをヒットさせたりと起業家としても知られています。
韓国のゲーム人気の高まり
今やゲーム大国と呼ばれる韓国ですが、韓国政府が金融危機後にインターネットに多額の投資を行ったことや手ごろな値段でアクセスでいるインターネットカフェの普及が韓国でeスポーツが人気になった大きな理由です。
また、その人気の先駆けとなったのがStarCraftの登場です。
本作は拡張パックのBroodWarとしてよく知られていますが、賞金額は$50,000にも満たないほどでしたが国際トーナメントが開催されるほどの人気を誇ったタイトルでした。
2000年代前半にはeスポーツの放送を専門としたMBCGameやOnGameNetといったチャンネルも登場しました。
2000年~
2000年代、パソコンの普及や韓国やドイツなどでeスポーツの団体が発足したこともあり、eスポーツが世界で広まっていきました。
esportsの誕生
2000年に入ると、「esports」という言葉が使われ始めます。
また、韓国では2000年にKeSPA(KOREA e-SPORTS ASSOCIATION)というeスポーツ協会が設立され、国内のeスポーツの成長に大きく貢献しました。
世界規模の大会が登場
eスポーツの広まりとともに、世界規模の大会も開催されるようになります。
2000年、eスポーツオリンピックとして知られるWorld Cyber Gamesが結成されます。
2003年には先ほど紹介したBattle by the Bayが現在のEVO(Evolution Championship Series)に改名します。
EVOではストリートファイターシリーズ以外にも種目数を増やし、ゲームセンターで使用するような筐体から家庭用ゲーム機に変わりました。
2007年にはChampionship Gaming Seriesの最初のシーズンが開催されました。
しかし、Championship Gaming Seriesは翌年2008年シーズンを最後に運営を停止しました。
日本人格ゲープレイヤー、ウメハラの伝説的な逆転劇!
日本人プロゲーマー、梅原大吾さんのことをご存じですか?
ウメハラ、ウメちゃんといった愛称で呼ばれる国際的にも有名な格ゲープレイヤーで、数々の大会で優勝していますが、特に背水の逆転劇と呼ばれるエピソードが有名です。
背水の逆転劇とは2004年、EvolutionのストリートファイターⅢ 3rd STRIKE部門の梅原大吾さんが操るケンとアメリカのジャスティン・ウォンが操る春麗との対戦にて体力がほぼ0の状況から逆転勝利したエピソードのことです。
たった一つのミスで負けが決まる盤面での粘りは観客を大いに引き込みました。
2010年~
2010年代になるとeスポーツは急激に成長します。
大規模な大会は2000年には約10回しかありませんでしたが2010年代には約260回と2.5倍以上に増えています!
それとともに大会の賞金額、視聴者数も増えていきました。
それでは詳しく見ていきましょう。
ライブ配信サイトの登場
このeスポーツの急成長はオンラインストリーミングサービスに大きく支えられました。
2011年にその一つ、ライブ配信サイトTwitchが立ち上げられます。
今でもゲーム配信で人気のTwitchですが、Twitchでは日常的にeスポーツの大会の様子も放送されています。
中でも『League of Legends』や『Dota2』の配信が人気で、『Dota2』の世界選手権の配信では1日で450万人の視聴者数を記録しました。
ゲームの人気が爆発的上昇
Twitchの影響もうけ、Dota2やLeague of Legends、CS:GOの人気が急上昇しました。
ここでそれぞれのゲームについて詳しく紹介させていただきます。
League of legends(LoL)は5対5で行うMOBA(マルチプレイヤーオンラインバトルアリーナ)です。
多くの大会が開催されており、League of Legends World Championshipやミッド=シーズン・インビテーショナル、オールスターなど定期開催されているものもあります。
League of Legends World Championshipでは優勝賞金に200万ドルと重さ70ポンドのサモナーズカップが用意されており、視聴者数も最高で9960万人を超えるなどかなり規模の大きな大会となっています。
Dota2はMOBAの代表格とも呼ばれるゲームです。
キャラクターやアイテムの豊富さ、さらに手軽に始められる点で人気のゲームです。
Dota2の大会の中でも、Dota2のチャンピオン大会、The Internationalはeスポーツの中でも世界最大の賞金総額を誇るといわれています。
その総額はなんと27億円!そのうち12億円が優勝チームに贈られます。
観戦者数も2000万を記録する、大規模な大会です。
CS:GOはCounter‐Strike:Global Offensiveの略で、FPSの中でも最高難度のゲームです。
CS:GOは2018年8月まででも3,389回の大会が開催されるなどeスポーツとしても盛んなタイトルとなっています。
中でも2017年に中国で行われたWorld Electronic Sports Games 2017での賞金総額は1億6,500万円、優勝賞金は8,800万円と高額の賞金が支払われました。
アメリカなどでは奨学金制度も導入!
新しいスポーツとしての地位を確立してきたeスポーツですが、なんとアメリカなどでは奨学金制度が導入されました。
その例の一つ、アメリカペンシルバニア州のロバートモリス大学はアメリカで最初にeスポーツチームを発足させ、奨学金制度を整えた大学ですが、こちらの大学では学生eスポーツアスリートは最高で学費の70%の免除を受けられます。
ほかにもゲームの開発会社と提携して奨学金制度を運営する大学などもあり、eスポーツアスリートもほかのスポーツのアスリートと同様に認められているのを感じますね。
日本eスポーツ連合( JeSU )が発足!
2018年2月1日、JeSU(Japanese esports Union)が設立されます。
JeSUではeスポーツに関する調査やプロライセンスの発行、大会の認定、関係各所との連携、eスポーツ選手の育成や支援を行っています。
eスポーツに対して、国際オリンピック委員会( IOC )の考え
eスポーツがスポーツとして認められつつある今、気になるのは世界最大のスポーツの祭典、オリンピックとの関係ですね。
IOCはeスポーツのオリンピック競技化に関し「競技性のあるeスポーツはスポーツ活動とみなすことができ、関係する選手は伝統的なスポーツ選手と同様に準備やトレーニングに打ち込んでいる。しかし、暴力や殺人といったオリンピック規則に反するゲームを競技として採用することはできない」といった旨を発表しています。
また、平昌オリンピックの聖火リレーでは韓国のkt Rolster所属のプロゲーマー、Smeb選手、Score選手、PawN選手、Deft選手、Mata選手の5名が走者を務めました。
2020年~現在
新型コロナウイルスの影響によってさまざまな影響が出ている現在、eスポーツ業界では何が起こったのか見ていきましょう❗️
IOC主催のeスポーツ大会、Olympic Virtual Series
2021年5月13日から6月23日にかけて、IOCが各国際競技連盟と開催した初めての公式eスポーツ大会であるOlympic Virtual Seriesが開催されました。
競技は野球、自転車、ボート、セーリング、自動車の5つでそれぞれeBASEBALLパワフルプロ2020、Zwift、Open format、Virtual Regatta、グランツーリスモSPOTで行われました。
新型コロナの影響
各業界で新型コロナウイルスによる影響が出ていますが、eスポーツも例外ではありません。
外出自粛の推奨により室内で楽しめるゲームの需要が高まり、Nintendo Switchが入手困難になるなどゲーム自体の売り上げは上がりました。
しかし他スポーツ同様オフラインでの大会は中止され、マイナス面での影響もうけました。
eスポーツの今後
eスポーツの市場売り上げは2023年には1700億を超えると予想されています。
また、日本でのeスポーツの市場規模は大手企業の参入やファン数の増加が追い風となり2020年に66.8億円を記録し、2024年には180億円に達すると予想されています。
心配されていたコロナ禍での大会運営にも対応でき始め、オンラインでの大会が盛んに開催されています。
外出自粛によりゲームの売り上げが上がっている今、eスポーツ市場の今後は明るいといえるでしょう。
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eスポーツの歴史まとめ
今回Pacific Metaマガジンでは、eスポーツの歴史について以下の内容を中心に紹介しました。
- eスポーツの始まりは1972年にスタンフォード大学の学生が開催した『スペースウォー!』の大会で、そこからどんどん数と規模を拡大させている。
- eスポーツの転換期は2010年代で、大会数、ファン数ともに大きく上昇した。
- IOCで公式のeスポーツの大会が開催されたり、また市場規模も大きく拡大するとの予想でeスポーツの今後は明るいといえる。
eスポーツの歴史はほかのスポーツと比べるとまだ浅いかもしれませんが、それでも深く、濃い歴史が刻まれてきました。
eスポーツの歴史はこれからが本番です。
これからeスポーツがスポーツとしてどう成長していくのか、目が離せませんね!