欧州中央銀行(ECB)のクリスティーヌ・ラガルド総裁は、米国の「GENIUS法」への対抗策としてユーロ建てステーブルコインを推進する考えを公式に否定しました。ラガルド総裁は、ステーブルコインが通貨の国際的役割を強化する効率的な手段ではないと主張し、金融安定性へのリスクを警告しています。この決定は、ステーブルコインを通じてドルの覇権を強化しようとする米国の方針とは対照的であり、欧米間でのデジタル資産戦略の乖離が明確になっています。
ユーロ建てステーブルコイン推進への懸念と拒絶の理由
ラガルド総裁は、2026年5月8日にスペインで開催された経済フォーラムでの講演において、ユーロ建てステーブルコインの必要性は「見かけよりもはるかに希薄である」との見解を示しました。その主な理由として、ステーブルコインが銀行預金の流出を招き、ユーロ圏の銀行融資や金融政策の伝達機能を弱める可能性があることを挙げています。
また、市場の混乱時に発生する「取り付け騒ぎ(ラン)」のリスクについても言及されました。過去に米ドル建てステーブルコインであるUSDCがシリコンバレー銀行の破綻の影響を受けた事例を引き合いに出し、ステーブルコインの脆弱性が金融システム全体に波及する懸念を強調しています。ラガルド総裁は、ステーブルコインの普及による短期的な利便性よりも、金融の安定性と通貨主権の維持を優先する姿勢を明確にしました。
米「GENIUS法」によるドルの覇権強化との対比
今回のラガルド総裁の発言は、米国の「GENIUS法(Guiding and Establishing National Innovation for U.S. Stablecoins Act)」に対する事実上の拒絶と見なされています。2025年7月18日に当時のドナルド・トランプ大統領によって署名されたGENIUS法は、ステーブルコインに対する米国初の包括的な連邦規制枠組みを構築するものです。
この法律は、ステーブルコイン発行者に米ドルや米国債による1対1の裏付けを義務付けることで、デジタル資産を通じたドルの支配力を強固にすることを戦略的目標としています。現在、ステーブルコイン市場の時価総額は3,000億ドルを超えていますが、その約98%が米ドル建てであり、テザー(Tether)やサークル(Circle)といった主要発行体が市場の約9割を占めているとされています。ラガルド総裁は、米国がステーブルコインを「ドルの覇権を維持するためのツール」として活用しているのに対し、欧州は同様の道を歩むべきではないとの立場を鮮明にしました。
欧州が目指す代替案と今後の展開
ECBは、民間のステーブルコインに頼るのではなく、より安全性が高いとされる「トークン化された銀行預金」の活用や、公的な決済インフラの整備を優先する方針です。ラガルド総裁は、ステーブルコインの技術的な利点である「オンチェーン決済」などは、他の手段でも実現可能であると主張しています。
今後の具体的な計画として、ECBは2026年9月に「Project Pontes(プロジェクト・ポンテス)」と呼ばれるホールセール決済インフラの立ち上げを予定しているとされています。また、欧州では2024年に施行されたMiCAR(暗号資産市場規制)により、すでに独自の規制枠組みが運用されています。今後は、民間のステーブルコイン競争に参加するのではなく、デジタル・ユーロの検討を含めた独自の公的デジタル金融戦略を推進していくものと見られます。
ポイント
- ラガルド総裁は、ユーロ建てステーブルコインがユーロの国際化に寄与するとの見方を否定し、推進しない方針を固めました。
- 米国が「GENIUS法」を通じてステーブルコインをドルの覇権強化のツールとして活用する一方、欧州は金融安定性を重視し異なる戦略を取ることが明確になりました。
- ステーブルコインのリスクとして、銀行預金の流出による融資能力の低下や、市場混乱時の取り付け騒ぎの可能性が挙げられています。
- ECBは代替案として、トークン化された預金や、2026年9月開始予定の決済プロジェクト「Pontes」を通じたインフラ整備を推進する方針です。
- ステーブルコイン市場の98%が米ドル建てである現状において、欧米の政策的な乖離は今後の世界のデジタル通貨の勢力図に影響を与える可能性があります。