いまや小学生のなりたい職業ランキングトップ10に入るほど人気の職業、ゲーム制作。
今回、Pacific Metaマガジンではその中でもゲームプログラマーについて以下の内容について紹介していきます!
- 日本の有名ゲームプログラマー
- 世界の有名プログラマー
- 世界の有名プログラマーになるために必要なこと
ぜひ最後までご覧ください!
日本の有名ゲームプログラマー
毎年様々なゲームを発売しているゲーム大国日本、この陰には様々なプログラマーがいます。
しかし、実際に「誰が何をしたの?」と聞かれると中々分からない方もいらっしゃるのではないでしょうか?
こちらでは、様々な種類のゲームにおいて先駆けとなった人たちを紹介していきます!
岩田聡
岩田聡さんは任天堂の代表取締役を務めたこともあるプログラマーです。
岩田さんは発売したばかりのファミコンの開発を自分の手でと、直接掛け合いプログラミングを担当することになりました。
その後ハル研究所にて代表取締役を経験後任天堂に入社します。
2001年を最後にプログラマーとしての仕事を終えています。
そんな中2002年には代表取締役に就任します。
その後任天堂は様々な大ヒットゲーム機を発売しました。
ここでは岩田さんの経営者としての手腕がいかんなく発揮されていますね。
2015年に岩田さんは単肝腫瘍によりこの世を去ってしまいましたが、岩田さんの活躍は日本にとどまらず世界へと語り継がれるものとなりました。
深谷正一
深谷正一さんはナムコのプログラマー(現バンダイナムコ)です。
ナムコではアーケードゲームを手掛けた人物として有名です。
同僚が手に負えない事態に陥った時には、深谷さんはいとも簡単に解決してしまったそうです。
このエピソードから深谷さんは部下や同僚との関係がよくコミュニケーション能力があったことが伺えますね。
40年も50年も前のことなのにこれだけ語り継がれることからも深谷さんの凄さが伝わってきますね。
中村光一
中村光一さんが関わった有名ゲームは、東京2020オリンピック競技大会開会式にてオープニングである「序曲」が演奏された「ドラゴンクエスト」です。
高校では数学同好会に所属しており、ゲームの移植などをして計200万円以上を稼ぎました。
この経験と収入からゲームクリエイターを目指します。
大学在学中にはゲームをパソコンの各機種へ移植、ここでは大学生にして1000万円を超える程でした。
その後は堀井氏と共に「ドラゴンクエストⅤ」までシリーズの開発を担当しました。
その後は経営者としての人生を送っています。
世界の有名ゲームプログラマー
前項では日本の有名ゲームプログラマーについて紹介しましたが、世界の有名ゲームプログラマーはたくさんいます。
こちらでは、世界の有名ゲームプログラマーについて紹介していきます!
ナーシャ・ジベリ
ナーシャ・ジベリさんは元イラン王族という特殊な経歴を持った方です。
イラン革命後アメリカへと渡りコンピューター科学を学んだ後幾つか会社を設立しますが、退社や倒産となってしまいます。
その後坂口博信さんと出会いスクウェアに入社します。
そこでファイナルファンタジーの開発に携わりますが、とてつもないエピソードが残っています。
なんとナーシャさんはプログラムを暗記できたというのです。
何かバグが見つかった時には電話で対応していたといいます。
そして聖剣伝説2の制作に参加後は世界放浪の旅に出たと言われています。
とてつもない量のプログラムコードを暗記していたなんて想像もつきませんね。
今ナーシャさんが何をしているかは明らかではありませんが、スクウェア・エニックスとは交流があるようです。
ジョン・カーマック
ジョン・カーマックさんはアメリカの会社オキュラスVRの最高技術責任者を務めています。
そんなジョンさんはVR技術の発展に大きく貢献している人物の一人です。
ジョンさんがコンピューターに興味を持ちだしたのはとても幼いころだったそうです。
なんと14歳の頃には高校のパソコンを盗み1年ほど少年院で過ごします。
盗むのは決して良いことではありませんが、このエピソードからコンピューターに強い興味を抱いていたことが伝わってきますね。
その後大学に進学するも2学期で中退し10代のうちからフリーランスのプログラマーとして活躍していました。
21歳の時にはゲーム制作会社を立ち上げます。
この会社では「DOOM」というゲームを発表しました。
このゲームは3次元空間で戦うこれまでにはなかった没入感抜群のゲームだったそうです。
それにしても今や大会も数多く存在しているFPSゲームの祖はジョンさんだったんですね。
その後は冒頭でも紹介したオキュラスVRの最高技術責任者に就任します。
現在も同社最高技術責任者としてVR技術発展をリードしています。
マルクス・ペルソン
マルクス・ペルソンさんは今や誰もが聞いたことあるであろう有名タイトル「マインクラフト」を開発された方です。
そんなマルクスさんについて紹介していきたいと思います。
マルクスさんがゲーム開発に興味を持ち始めたのはなんと7歳の頃だそうです。
初めて作成したゲームは選択肢入力式のアドベンチャーゲームだそうですが、青年時代については多くは語られていません。
2010年には同人ゲームとして「マインクラフト」のベータ版を発表、その売り上げは商業ゲームに匹敵するほどだったそうです。
「マインクラフト」は現在累計販売数1憶本を突破しています。
有名ゲームプログラマーになるために必要なこと
様々なゲームプログラマーを紹介しましたが、どなたにも共通していることがありました。
それを以下にまとめますのでぜひご覧ください!
高いプログラミングスキル
当たり前のことですが、彼らはとても高いプログミングスキルを有していました。
有名プログラマーに限らず現在プログラマーとして活動している方々はプログラミングスキルを日々磨いていることでしょう。
問題解決能力
問題解決能力はプログラマーにとって最も大切な能力の一つです。
流石にナーシャさんのように暗記している人はほとんどいないと思いますが、バグが発生したときに素早く正確に修正する能力は必要です。
常識に囚われないユニークな発想力
現在は当たり前となったジャンルにも勿論先駆者はいます。
ユニークな発想力は新たなジャンルを開拓しこれまでになかったようなゲームを制作するのに必要な能力といえるでしょう。
ゲームプログラマーへの転職に興味がある方は下記の記事もあわせてご覧ください!
ゲームプログラマーに就職するなら代々木アニメーション学院
いかがでしたでしょうか?
今回Pacific Metaマガジンでは様々な有名プログラマーを挙げてプログラマーに必要な能力について説明してきました。
しかし、突然言われても何をしたら?という方は多いのではないでしょうか。
そんな皆さんに代々木アニメーション学院について紹介したいと思います!
代々木アニメーション学院は1978年に設立され約43年間にわたり、12万人もの卒業生を輩出しています!
ただ多いだけでは?と思うかもしれませんが、違います。
この12万は様々な会社でプロとして働いています。
つまり、全国の大勢の代アニ卒業のプロが味方となってくれるのです!
これは他の専門学校にはない長い歴史をもつ代アニだからこその大きな強みです。
今まで紹介した有名プログラマーの方々も多くの方が誰かと出会い成果を残しています。
この代アニでは様々な卒業生がいることでたくさんの出会いが生まれる可能性があります。
では大学だって長い歴史があるんだし何が違うの?って思う方もいるかもしれません。
次に大学との違いについて説明していきます!
まず大学ですが、大学は仕事のスキルを身に着ける場所ではありません。
あくまでも、その分野の学問について学修し時間をかけて深く知見を広げる場所です。
次に専門学校ですが、専門学校は仕事に直結するスキルを身に着ける場所です。
なので卒業時点ではすぐに働ける能力がついているのです。
このような違いがあり、人脈を作りながらプログラマーになるという方は代アニの様な歴史がある専門学校が良いのではないでしょうか。
日本・世界の有名ゲームプログラマーのまとめ
- 有名プログラマーについて
- とてつもない努力をしていた
- 高いプログラミングスキルを持っていた
- 問題解決能力は必須
- ユニークな発想が有名タイトルを生み出す
いかがでしたでしょうか。
今回紹介したプログラマーはほんの一部です。
代アニはこれらを身に着けることができる場所です。
しかし、いくら即戦力を身につけることが出来る言っても本人の努力が無いことには身につくものも身につきません。
最後までご覧いただきありがとうございました!